2007年12月14日

福山雅治プロフィールなど

湯川学役、福山雅治プロフィール

本名 福山 雅治
愛称 ましゃ、ましゃ兄、マサジ
生年月日 1969年2月6日
出身地 長崎県長崎市
身長 180cm
靴のサイズ 27.5cm
血液型 O型
学歴 長崎県立長崎工業高等学校卒業
所属事務所はアミューズ

ガリレオで天才科学者湯川学役を演じる福山雅治は、長崎県長崎市で生まれ、私立宝珠幼稚園、長崎市立稲佐小学校、長崎市立淵中学校、長崎県立長崎工業高等学校卒業。

1987年 高校卒業後、福山雅治は、18歳で上京する。当時は昭島市に在住し、福生の横田基地近くの土木作業員となって、2tトラックに乗って木などを運んでいた。

福山雅治は、1988年 「アミューズ・10ムービーズオーディション」に合格、映画『ほんの5g』で俳優デビュー。8月15日、新宿のライブハウスで、東京での初ライブ。観客はゼロだった。

1990年 シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー。1991年 TBS系ドラマ『あしたがあるから』でテレビドラマデビュー。1993年 シングル『MELODY』で第44回NHK紅白歌合戦に初出場。なおこの回が唯一の紅白出場だ。1995年 フジテレビ系ドラマ『いつかまた逢える』で初主演。2000年 シドニー五輪、2004年のアテネ五輪でテレビ朝日のカメラマンとして活躍。


福山雅治は、1990年、21歳の時に「追憶の雨の中」でデビュー。以来数々のヒット曲を持つが、特に1994年発売の「IT'S ONLY LOVE/SORRY BABY」と、1995年発売の「HELLO」と、2003年発売の「虹/ひまわり/それがすべてさ」は、ミリオンセラーを達成し、更に2000年発売の「桜坂」はダブルミリオンを達成した。

1999年には自ら主演を演じたフジテレビ系テレビドラマ「パーフェクトラブ!」で、音楽を担当した(※主題歌は福山雅治ではなく、GLAY)。「HELLO」はマキシシングルで初めてのミリオン(当時は8cmシングルが主流だった)、「桜坂」はマキシシングルで初めてのダブルミリオン(SMAPの「世界に一つだけの花」が出るまではマキシシングル唯一のダブルミリオンだった)という記録を持っている。

福山雅治は、2003年にオリコン週間売り上げランキングのシングル、アルバム双方の部門で1位を獲得、これは男性ソロアーティストとしては史上初の快挙であった


近年、福山雅治は音楽プロデューサーも務めており、1999年には松本英子の「Squall」、2002年には前川清(同じ長崎出身)の「ひまわり」、2007年にはKOH+(柴咲コウ)の「KISSして」をプロデュースした。


俳優としての福山雅治は、1988年に映画「ほんの5g」でデビューした。映画出演を決める際、「映画でもドラマでもなんでもいいから、とにかく知名度を上げて最終的にアーティストとして成功する」という目論見があったという。


その後1992年TBS金曜ドラマ「愛はどうだ」でレギュラー出演し、挿入歌となった「Goodnight」が30万枚のスマッシュヒットを飛ばし、俳優としての評価、歌手としての評価双方を急激に高めていくことになる。1992年には「愛はどうだ」と同じくTBSドラマ「ホームワーク」にレギュラー出演している。


1993年にはフジテレビドラマ「ひとつ屋根の下」に出演。このドラマは福山雅治出演作品中、最大のヒットとなった。知的な白衣姿の役というのはハマリ役で以降たびたび類似した役柄を演じることとなる(後述)。このドラマ内での福山演じる柏木雅也のセリフ「あんちゃん」や「小雪ぃ・・・」は放送から10年以上経った今でもプロアマ問わずモノマネされている。


1995年にはフジテレビ「いつかまた逢える」でドラマ初主演を飾るとともに月9初主演。

1997年には音楽活動休止中ではあったが「ひとつ屋根の下2」に出演、1に勝るとも劣らない大ヒットを飛ばした。またドラマ終盤では主役級の演出的扱いを受けている。


1999年にはフジテレビ「古畑任三郎」に犯人役でゲスト出演。7月〜9月期には「パーフェクトラブ!」で二度目の月9主演。どちらも前述の知的な白衣姿役であった(前者は有能な科学者、後者は歯科医)。パーフェクトラブではドラマ内で使用される音楽も担当、挿入歌は福山雅治自身が新人アーティストをプロデュースし、特に松本英子が歌った「Squall」はスマッシュヒットとなった。


2003年にはフジテレビ「美女か野獣」で松嶋奈々子とともに主演。このドラマ撮影中に福山雅治は風邪を引いて以来、長年吸い続けてきた煙草は吸っていない。それ以来、飲酒の量も減ったという(ラジオにて)。


2007年にはフジテレビ「ガリレオ」で柴咲コウとともに主演。天才科学者ではあるが変人という役柄を演じた。三度目の月9主演。このドラマは初回視聴率24,9%を記録し、2008年には映画化も予定されている。テレビドラマがヒットしての映画化ではなく、映画化とセットでのテレビドラマ化だったという。



福山雅治は、現在担当しているオールナイトニッポンも学生時代にはよく聴いていて、笑福亭鶴光がパーソナリティを務めた「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」も聴いており、鶴光の巧みな「艶福ネタ」を好み、尊敬している。これはラジオの彼の話術にも影響を与えている。ラジオ番組では下ネタや放送禁止スレスレの用語を連発し、ファンの中では桑田佳祐と並んで「下ネタの帝王」と呼ばれることもある。



子供のころは今のようなシンガーソングライターとしての成功は無理だと思い、音楽の先生になりたかったらしいが家庭の状況(金銭面)から断念したという。

小学校の時、腕っ節が強く腕相撲では負け知らずだった。当時は「太陽にほえろ」に憧れて刑事になりたかった。ソフトボールをやっていたが、右肩を故障した。

浜田省吾、サンハウス、THE MODS、A.R.B. らの影響を受けた。A.R.B.に関しては大ファンだったようで同級生たちと組んで高校時代にA.R.B.のコピーバンドをしていた程である。

福山雅治は、学生時代からラジオを愛聴していて「プレゼントアワー」という、長崎のローカルAM放送局NBCラジオが日曜深夜に放送していた中高生の必聴番組のリスナーだった。

在学校名や実名をあげて個人の情報を依頼・提供し合うという現在では考えられない人気コーナーがあり、当時モテなかった(本人談)福山は自分の名前があがらないかと毎週楽しみに聴いていたが、結局高校を卒業するまで彼の名前が読み上げられることは一度もなかったらしい。


高校卒業後、しばらく一般企業に就職し会社員(材木屋の小僧だったかな?)をやっていたが、音楽への未練が断ち切れず、会社を辞め単身上京した。上京する時には、自分の本当の目標を周囲の人間に恥ずかしくて言えなかったので、古着屋になると言って出て来た。


1987年に上京して一般企業で働いていたばかりの頃に愛聴していたのが文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN!」で芸能界デビュー後に最終回含め、計3回ゲスト出演したが、なぜか文化放送でのラジオレギュラー番組は現在でも持ったことがない。



福山雅治は、端正なルックスから女性に圧倒的な人気を誇り、女性の好きな有名人アンケートにおいて必ずといっていいほど上位にランクされている。下着メーカー「トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社」が2005年に行った「ホワイトデーに関するアンケート」で「ホワイトデーに下着を贈られたい男性有名人は?」という質問で第1位、また「自分の下着を一緒に買いに行きたい男性有名人は?」という質問で第3位に選ばれた。島田紳助は「日本の女性は福山雅治に支配されている」と評している。


その一方でラジオでは女性ファンもドン引きするような強烈な下ネタを連発、その気取らないバランスが男性からも高い人気を維持している。「かっこよくて気取った男」をラジオで演じる時もあるが、もちろん本気ではない。


福山雅治は、大のバイク好きとして知られ、福山エンヂニアリングの番組内でホンダ・ドリームCB400FOURを購入し、テリー伊藤や伊藤英明と一緒にツーリングへ行くなどしており、バイクチーム「有楽町crazy horse」を私設している。



福山雅治の所属事務所アミューズの先輩の桑田佳祐にはマサジと呼ばれる。2000年にサザンオールスターズが行い、後に伝説として語り継がれる「茅ヶ崎ライブ」では開演前の開会宣言を務めている。同ライブのMCで桑田は「福山が桜坂なんてあんないい曲を作詞出来るわけない。俺がマサジにファックスしたんだ」と発言し、場内は爆笑だった。

桑田佳祐の家でパーティーを行ったときにとてつもなく酔ってしまい、飾ってある皿を投げたりなどしたため桑田の家には立ち入り禁止らしい[7]。


今田耕司とは1992年に今田のラジオ番組にゲストとして招待されて以来の古い付き合いであり、1998年リリースのアルバム「SING A SONG」では今田が収録全曲のレビューを執筆した。


福山雅治からオールナイトニッポン木曜1部を引き継いだナインティナインの岡村隆史(2学年下、1970年生まれ)は番組内では福山くんと呼んでいるが、本人と会った際は福山さんと言っている。

また、上記の岡村隆史や加藤晴彦と同じマンションに住んでいたことがある(通称:イケメンマンション)。

同郷生まれのSHINJO(新庄剛志)と仲が良く、北海道日本ハムファイターズの試合を見に行ったこともある。2006年シーズンには福山の楽曲の美しき花(milk tea や あの夏も海も空も の場合もある)を登場曲として使用している。

西川貴教や加藤晴彦とはプライベートでも仲が良い。小説家の内藤善弘とはデビュー当時から親交が深く、一緒に旅行したりもしている。


福山雅治は、ルー大柴のファンである「ルーマニア」だと公言している。ルーも福山のことを「弟分」と言っている。ルーとは、福山がブレイクする前にラジオ番組で共演し、古いタイプの曲が好きで、時代に合ってないのでは?と悩む福山に、「自分のスタイルをつらぬけ」とアドバイスを受けたりした。


2007年10月7日に一般道での不幸なバイク事故により逝去したプロライダー阿部典史(通称ノリック)とは生前より親交も深く、同年10月13日の葬儀ではBGMとして『桜坂』が使用された。


同郷、長崎の先輩であるさだまさしに対しては敬意を払っており、言及するときはほぼ必ず「偉大なる」と付けている。


「年齢」「東京に出てきた年(18歳)」「デビュー日(1990/3/21)」「所属事務所(アミューズ)」が全てBEGINと同じ。そのためかBEGINとの共演の際には「BEGINの4人目」と自称する事がある。



ガリレオでは、柴咲コウに気分よく仕事させている福山雅治さんでした。


posted by ガリレオファン at 04:26| Comment(10) | TrackBack(5) | 福山雅治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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